日本の伝統芸術と芸能
能面と能楽・佛像と佛像彫刻 <その009>
人形特集-004
人形特集もあっという間に4回を迎えました。先回で能面の方に方向転換したかったんですが、だんだん深みに嵌って参りました。若い年代の閲覧者も居られるようですので、人形の方が興味深いかも知れませんね。もう少し続けさせて貰いましょう。
先回は<生き(活き)人形>の製作者の第一人者、松本 喜八郎について、ご紹介しました。本日は松本 喜八郎の対抗馬でもあり、且つ、市松人形などの抱き人形の世界に大きな影響を及ぼした「安本 亀八」について、そして、松本 喜八郎の弟子・江島 栄次郎について書いてみたいと思います。
安本 亀八
鹿児島県熊本の生んだ活き人形師 安本 亀八 は先にご紹介した松本 喜三郎とともに<つくりもん>で双方腕を競い合った好敵手でした。亀八は別名「光正」、「素川」ともいい、晩年は「亀翁」と号しました。 彼も松本と同じく大阪、東京で成功し一旗上げ、「東海道五十三次道中生人形」・「一世一代鹿児島戦争実説」が彼の傑作となりました。
彼の父は仏師で彼もまた仏師修行の傍ら、<つくりもん>の製作に腕を競い合ったそうです。先回ご紹介した菊人形もてがけ、<人形は安本 亀八>と謳われていたそうです。
彼は万延元年以降は三重県の名張市に滞在し、主に肖像彫刻を残しております。素封家「角田半兵衛・みか夫妻像」や医師「横山 文圭像」で、神社・仏閣で彫刻を手がけたようです。
角田半兵衛・みか夫妻像(伊賀まちかど博物館蔵)
横山 文圭 像 (個人蔵) 細川 宏子像(永青文庫蔵)
先にもご紹介したように仏師の家に生を受けた者であるが、彼が熊本に居た頃能楽金春流の白井家と懇意であったり、藩主細川家が能楽を愛好したことから、かって能面を製作していた者とされている。名張の神社所有の45面の能面中、「橋姫」一点が亀八の作品だそうです。
「亀八」は代々亀八を襲名するが、三代亀八は各国の万国博覧会に等身大の風俗人形やデパートのマネキン人形を製作し、上流階級の贈答品となった市松人形を手がけ、一世を風靡し彼の後継者が現在に至っている。
亀八三代衣装人形頭部(足利時代大将)1909年
(東京国立博物館蔵)
少年像 1901年(個人蔵) 三才女児利子像 1930代(個人蔵)
初代・平田 郷陽は初代・亀八に師事したようで、その後生人形師として活躍し、その技術が二代目・平田郷陽に受け継がれました。1927年・昭和2年答礼人形のコンクールで第1位を獲得したことは余りにも有名です。
平田郷陽・答礼人形・第1位獲得の市松人形
江島 栄次郎
肥後熊本の活き人形師・松本 喜三郎の弟子にして亀八と同じく仏師の家に生まれた江島栄次郎は1898年に師匠の製作した「谷汲観音像」を全面修理した。そして、加藤清正325回忌を記念して、「清正公一代記」を製作、引退後は華道(粘華流)の世界でも名声を上げました。
1935年作品(熊本博物館蔵)
賊僧 「長浜巡検」井上大九郎
女性
その後の「活き人形」の展開
熊本が生んだ活き人形の名人の技術はその後、人形芸術(特に市松人形・・・1927年の「答礼人形」に受け継がれる)、マネキン、医学用の解剖模型などに多様な展開をみせました。
・ 平田 郷陽 二代目
活き人形第2期の人形師 ・ 山本 福松 二代目
・ 厚賀貞七
・・・・・・・・彫刻家 平櫛 田中
相撲像 (個人蔵)
20世紀初頭、ドイツの心理学者ユリウス・クルトによって、レンブラント、ルーベンスと並ぶ三大肖像画家の一人として紹介されるなど、海外でも高い評価を得ている浮世絵師・東洲斎 写楽は18世紀末に10ヶ月という短期間に世界的な名品を残しましたが、松本 喜三郎が<ツクリモン>を手がけた時期と近接しております。
浮世絵・東洲斎写楽
幕末期に海外から入ってきたヨーロッパのリアリズムの影響が在ったようですが、逆に日本からも素晴らしい作品が流れ出、浮世絵の芸術がヨーロッパの画壇に(ルノアール、ゴッホなどにも)大きな影響を与えました。活き人形もドイツやアメリカの博物館に所蔵されております。世界中が大きな芸術の流れを造っていたということでしょうか。
男性頭部 (ドイツ・ブレーメン・ウーバーゼー博物館蔵)
今回で活き人形が終わりました。次回はその他の人形を少しご紹介して、市松人形に入って参ります。
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